笹巻きのルーツをたどってみました
2018.03.22
中国から伝わってきた?笹巻き
山形県庄内の家々では、端午の節句や七つ祝いなどに笹巻きを作り振舞ったりする伝統食なのですが、そのルーツを探ってみると日本の食文化の基礎にたどりつくと言います。
日本の文化は、インドのアッサム地方から中国中南部に至る常緑照葉樹林帯の文化と共通するものが多いそうです。たとえば、ワラビやクズ、あるいはカシ、トチなどの堅果類を水さらしによりあく抜きする技法だとか、お茶の葉を加工して飲用すること。繭から糸をひいて絹を作ることや、ウルシやその近縁種の樹液を用いて漆器をつくる方法。かんきつとシソ類の栽培と利用や、こうじを用いて酒を醸造することなど・・・大変良く似ていますよね。
その文化のひとつに「ネバネバ、モチモチした食べ物を好む」があります。それは納豆とか味噌、雑穀のモチ種のことで、そこから生み出されたモチ種の食品が「ちまき(粽)」であり、笹巻きはそのひとつに含まれます。
また、常緑照葉樹林帯と共通するところとして、「ハレの日」たとえば儀礼や接客、贈答のときに用いるのがモチ製品。晴れの日の特別な食べ物としてモチ系のごちそうを作ることが習慣になっていたという記述もあるなど、この文化において、古代中国から日本に伝わったと言われるのが有力なのが「ちまき」というわけです。
また、このちまきの起源は古代中国の詩人「屈原(くつげん)」にまつわる伝説があります。
楚の国の優れた政治家だった屈原は、陰謀によって国を追われると、自国の将来を憂い汨羅江に入水したのが5月5日。以来、この日になると竹筒に米を入れたものを供養として川に投げ入れたものが始まりとされています。さらに中国では5月5日は「重五」といって最も災難に遭いやすい日として邪気を払う時節の物としてちまきを作ったとも言われています。
こうした伝説が日本にも伝わって、端午の節句にちまきを作って供える習慣が生まれたというのが想像できるのです。
白と黄色、二色の笹巻きがあるのはなぜなのでしょうか?
現存する最古の料理書「斉民要術(せいみんようじゅつ)」では、すでにこの黄色と白の笹巻きが記載されています。この本が書かれたのが西暦530年~550年といいますから、それ以前にすでにこの調理法があったということになります。そして、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」に出てくる宮中の儀式のとまきは水煮で作られた白色。さらに江戸時代の「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」にはなんと4種類のちまきが紹介されて入ると言い、時の流れとともにバリエーションが多様化しています。このようなことから、どちらの煮方も昔からの技術としてそのまま日本に伝えられたのではないのでしょうか。
東北の日本海側へと伝承された笹巻き
なるほど、笹巻きの文化は新潟から山形、秋田の南部、福島の会津地方と広範囲に広がっていますが、いずれも米どころとして知られている土地、というのが特徴的と言えます。
もち米はうるち米に比べると収量も少なく高級品なので、昔からお祝いの席のごちそうとして用いられることが多かったのです。それも粉食ならくず米でかまわないわけですが、「粒」のまま使うとなればごまかしがききません。ですから、「ちまき」「笹巻き」は豊かな米どころに咲いた、ちょと贅沢なハレの食文化といえます。
米本来の美味しさを存分に味わえる郷土料理として季節のごちそう。一枚一枚笹をめくると、米どころの農家の暮らしが見えてくるようです。
笹巻きは人の優しさの象徴
こうして伝えられてきたちまきが、米どころ庄内では笹巻きというカタチにかわり、この地域の中においても煮方や巻き方が異なる笹巻きが作られ、母から娘へ、お嫁さんへと繋がれてきたのです。
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参考文献:SPOON 20091月号P.7-P.9